寂聴と読む源氏物語
さて、今日は瀬戸内寂聴の『寂聴と読む源氏物語』(講談社文庫)です。名前の通り『源氏物語』の解説書です。自分は源氏物語を高校時代に読みはまり今でもたまに読み返しております。何度読み返しても面白いんですよね。
今回の感想ではヒロインの一人「花散里」という人物に焦点を当てたいと思います。実はこの女性、美人ぞろいの登場人物たちの中であまり容姿がよくないないんです。しかし、この女性がある意味では、源氏物語の女性の中で一番幸せだと思います。
地味で男にとって都合のよい女性。でも、執着がない。多くの女性が、浮気性の光源氏と関わることでなにかしらの不幸にあってしまう。その一方で、花散里は欲がないため常に源氏に信頼されて、長男の養育まで任されてしまう。常に一定の信頼感を得て、しかも嫉妬の炎に苦しむこともない。この本の中でも「世話女房」と言われていますが、まさにピッタリの表現です。
あえて、物語に加わらないで、一歩引いたところで見ている状態。周囲の女性が不幸な目にあっていても、彼女は飄々としている。紫式部が求めた理想的な生き方を体現しているのかもしれないと思っています。仏教的な生き方というのでしょうか。私は彼女の人生に一種の憧れを抱いています。
本の感想というよりも『源氏物語』で最も好きな女性の紹介になってしまいました(笑)。
常陸国風土記
さて、次は秋本吉徳全訳注の『常陸国風土記』(講談社学術文庫)です。なんと奈良時代に書かれた常陸国(現在の茨城県と福島県の一部)についての書です。天皇によって命じられた風土記の中で現存しているのが五つの国のみなのでかなり貴重な本ですね。しかし、現存しているのも、要約版のみで原文ではないのが残念。それでも、奈良時代に書かれた本が読めるのはなんとも嬉しいかぎり。
では、なぜ常陸国を選んだのか?実は私の出身地だからです(単純)。だからこ、思い入れもある。世間的には地味だと思われている茨城県ですが、歴史はかなり古いのです。それをうまくアピールできていませんが(笑)。農業国として豊かだが地味。これは奈良時代も変わらない感じです。水田も等級は中級のものが多いと書かれていますしね。
古代人が妄想した「常世の国」という理想郷は、ここにあるのではないか?。なんてこの本には書かれていますが、住んでいてあんまりそんな感じはしません。農作物も海産物もいい感じには取れるのでそれをいっているんでしょうか(汗)。
読んでいて、古代人の生活は至る所に神さまがいるのだと思いました。地名や行事の由来が、神話にさかのぼれる。神さまと同居していた古代人の生活。貝塚(縄文人のゴミ捨て場)が、巨人がいた痕跡ではないかと書かれているのも面白いです。そして、その伝説が地名とも結びつく。この神話がどこまで現実に基づくのか?歴史学では禁じ手の妄想かもしれませんが、一読書家としてはとてもワクワクする妄想です。実は、これが失われた歴史の真実の断片だった面白いと思いませんか?
日本仏教の思想
さて、最後の感想は立川武蔵『日本仏教の思想』(講談社現代新書)です。簡単に内容を説明すると、「インドより中国を経て日本に伝わった仏教思想が、どのように受け入れられて、在来の思想である神道などと共存することによっていかに変容したのか」を概説する一冊です。概説書とはいえ内容や用語はかなり難しかったです。ただ、本を読むにつれて、原始仏教と日本の仏教は別物ではないかと思っており、この本にその問題の解答を求めました。
つまり、日本に伝わった仏教は、中国の老荘思想などと結びついたものであり、はじまりから原始仏教とは異なるものですが、平安時代の空海と最澄を起点に、鎌倉仏教の誕生を経て、江戸幕府の統制という流れのもと変容を遂げたという流れがはっきりわかりました。特に鎌倉時代の変容が、顕著です。
念仏や題目、禅などによって、仏教が「大衆化」した一方で、従来の厳しい自己鍛錬や難解な理論を放棄(著者はこれを「精緻な知的体系を捨てた」と表現している)したことで、現世救済主義へと主軸を移しました。それは確かに素晴らしいことです。本来、最も救済を必要とするものたちに教えが伝わる一方で、私は原始的な仏教の魅力を切り捨てたことへの口惜しさというものも覚えます。
原始的な仏教を見つめなおすことで新たな光を見つけることができるのではないでしょうか。