書評『社会主義』

『社会主義』(講談社学術文庫、マックス・ウェーバー著、濱島朗訳)

人々が求めたユートピアの結末
(感想)
 さて、今日の感想は『社会主義』(講談社学術文庫、マックス・ウェーバー著、濱島朗訳)です。

 産業革命以後、労働環境の悪化や激化する競争、貧富の差の拡大に対するアンチテーゼとして誕生した「社会主義」。怪物マルクスによって体系化されたそれは、レーニンによる一九一七年のロシア革命にまで発展。ついに、「社会主義」を標榜する国家ソヴィエト連邦が誕生するまでに至りました。理想郷の誕生になるはずだった二十世紀最大の実験は支持者たちの期待とは裏腹に、一九九一年に資本主義勢力に敗れ無残な最期を迎えてしまうのでした。

 この本は、ロシア革命の勃発した翌年にオーストリア軍将校達に対してウェーバーがおこなった講演を文字に起こしたものです。ウェーバーは「社会主義」に対して対決し、この国家の行き着く先を予言するのでした。

 社会主義の根幹とは何か?門外漢の自分が断言することは憚られますが、「労働者が団結することで支配者階級を撃破し、弱い者の理想郷を作ること」、「行き過ぎた格差を是正するために社会主義者が富の再配分をおこなうこと」、「彼らの思想が成就することで、旧来の国家というものが瓦解し新秩序が構成されること」の3点にあるのだと考えております。ただ、この3つの関係には矛盾する状態になる危険性を含んでおります。

 では、「社会主義」の何が問題なのでしょうか?ウェーバーはこの本で以下のように批判をしています。

 ① 社会主義の理想(富の再配分や集中的な生産等)を実現するためには中央集権的な政治体制にならざるを得ず、資本主義体制の国家以上に官僚主義が蔓延せざるをえない。

 ② ①の状態は、つまり「労働者による独裁」ではなく「官僚による独裁」であり、社会主義者が抱える自由な理想郷とは真逆のものである。

 ③ 資本主義が格差の拡大や恐慌に行き着くとは限らず、社会主義者の考える資本主義国家の崩壊する可能性は低い。

 結局のところ、理想郷と思った場所は別の地獄であり、ミイラ取りがミイラになってしまうということでしょう。そして、ウェーバーの予言は現実のものになってしまうのでした。 

 対して、資本主義は社会主義の要素も取り組み現在も生き続けております。この怪物は敵対者すらも取り込み成長する柔軟性がここまで長い間生き続ける怪物たる由縁なのだと読んでいて思いました。 

『 イワン・イリッチの死 』・『獄中からの手紙』書評

はじめに

今回の書評は。トルストイ『 イワン・イリッチの死 』 ガンディー『獄中からの手紙』の二冊について書いていきたいと思います。

『 イワン・イリッチの死 』

死という魂の解放

 さて、今日はトルストイ『イワン・イリッチの死』の感想です。

 タイトルが少し危ない感じになってしまいました。

 この作品は、ロシアの官吏が不治の病におかされ、死にいくまでを描いた小説です。

 目前に控えた死への恐怖と病魔によって引き起こされる激痛。

 とても重苦しい小説です。

 生々しい苦痛がずしり、ずしりと伝わってくる。

 しかし、最後にある苦痛からの解放。

 この瞬間に一気にすべてが解き放たれる感覚。

 この感じがやっぱりトルストイだな、読んでいてよかったなと思います。

 最後の瞬間、主人公が苦痛から解放され、死に喜びをおぼえるシーンがとくに印象的です。

 単純な苦痛からの解放ではなく、今まで自分を制限していた肉体との決別。

 そして、広がる魂の世界。

 そこにたどり着いた喜び。

 無限の連鎖によって、引き起こされる「魂の不死」。

 トルストイ作品の味わいが濃縮されております。

 魂の不死について語ると長くなるので、過去のこの記事を読んでください(笑)

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『獄中からの手紙』

完全なる無私とそこからもたらされる真理

 さて次はガンディー 森本達雄訳『獄中からの手紙』(岩波文庫)を紹介します。

 この本は一九三〇年に刑務所に収監されたインド独立の父ガンディーが弟子に宛てた手紙をもとにしたもので、彼の思想が凝縮された一冊です。

 多くの東洋思想の根幹には、「捨てる」ということがあると思います。例えば、仏教や老子、夏目漱石、『菜根譚』などなど。その中でガンディーは最も「我」というものを捨て去ることを目指した人だったのだと思います。特にアヒンサー(非暴力)を「愛」と定義し、それを直接的な暴力だけではなく、精神的な嫉妬や独占欲まで広げているのが面白いです。そこまで捨て去ることができれば、「無私」という境地にたどり着けますね。

 その無私というものを持ちえたガンディーだからこそ、インド独立の父という象徴になることができたのだと思います。手っ取り早く独立できる「武力」というものを用いず、あくまで「愛」を全面に押し出すことで目的を達成させる。無私の境地にたどり着けた人物だからこそ取り得た独立だと思います。

 仏教といった捨てる思想を生んだ土地で、その思想の結晶となった人物が活躍したのは運命的なものを感じますね

【書評】『老子』(講談社学術文庫)

『無知無欲な人生とは何か?』
(感想)
さて、私が一番好きな思想書『老子』(講談社学術文庫、金谷治)の感想です!。年末に毎回読み返しております。これを読み返さないと年は越せないという風物詩。

中国古代の思想書というと『論語』がまず第一にくると思いますが、自分は断然『老子』派です。『論語』は思想書というよりも、なんだか政治学に近いものを感じてしまい少し苦手なんです。人をどうのように組織し、統率するか。そんな風に読めてしまい、変人で自由を愛する私はその外にいたいと思ってしまう。なんとなく権力者側の話みたいで、縛られる側の自分にはピンと来ないのかもしれません。

そう、そんな人の受け皿になるのが『老子』。「権力」や「人間関係のしがらみ」、そこから距離を置く思想。いらないものを捨てていく思想、それが『老子』だと考えています。

この考え方って仏教とかとかなり近しいものを感じます。まあ、この考え方は森三樹三郎の『老荘と仏教』(講談社学術文庫)の受け売りなんですが(笑)

さて、『老子』の中で好きな一文を二つ引用してみたいと思います。

天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。

(書き下し)
天は長く地は久し。天地の能く長く且つ久しき所以の者は、其の自ら生ぜざるを以て、故に能く長生す。

(訳)
天は永遠であり、地は久遠である。天地の大自然がそのように永久の存在を続けていけるのは、天も地も無心であって自分で生き続けるようなどとはしないから、だからこそ長く生きつづけることができるのだ。
(32-33頁)

為学日益、為道日損。損之又損、以至於無為。無為而無不為。

(書き下し)
学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じて又た損じ、以て無為に至る。無為にして為さざるは無し。

(訳)
学問を修めていると、その知識は一日一日と増えてくるが、「道」を修めていると、一日一日とその知識は減ってゆく。減らしたうえにまた減らし、どんどん減らしていって、ついにことさらなしわざのない「無為」の立場にゆきつくと、そのしわざのない「無為」のままでいて、それがすべてのことをりっぱになしとげるようになる。
(153-154頁)

自分の持つ執着をどんどん捨てていくことの魅力。「エゴ」というものが自分をどこまでも苦しめている。だからこそ流れに身を任せることも必要なのだと読んでいてはじめてわかりました。夏目漱石ではないけど「則天去私」という心境はこういうものなのかもしれません。

 

おすすめ度 100/100