大山康晴の晩節
さて、今日は河口俊彦『大山康晴の晩節』(ちくま文庫)の感想です。またまた、趣味の将棋関係です。
感想の前にこの本の主役、大山康晴について少し解説です。将棋界では歴代棋士の中で最強候補の最有力とまで言われている大名人です。圧倒的な「受け」で、ライバルたちの攻撃を受け潰し、無敵のような強さで勝利を積み重ねる。当時、将棋界にあった五大タイトルをすべて制覇し、それを何度も繰り返したまさに伝説の名人です。 全盛期の強さとして、この本ではライバルになる可能性のあるNo.2候補を完膚なきまでに叩き潰して、苦手意識を相手に与えることで圧倒的な立場を築いたと書かれております。なぶり殺しのような手を使ってでも、ひたすらに勝利を求める勝負師。背筋がゾッとするほど、勝利を求める姿勢です。
さすがに加齢で圧倒的な力は陰りを見せますが、それでも将棋連盟の会長やがんの手術を繰り返しながら、トップテンクラスの棋士のみ在籍できる名人戦のA級を維持する。まさに勝負の鬼です。 がんとの闘病生活をおくりながら、迎えた一九九一年度の名人戦のA級。なんと彼は、並み居る強豪に打ち勝ち、リーグ内で同率一位となり、プレーオフに進出するという快挙を成し遂げます。この時の大山康晴の様子が凄いです。病気の影響でフラフラになりながらも、病気のことをなんとなく他人のことのように話し、顔面が真っ白でありながら、すべてを超越した「生き仏」のように見えたそうです。
大山はこの次の年になくなるのですが、この様子に自分は一種の憧れを抱いてしまいます。才能を持ち、一時代を築きながらも、ひたすら勝利を求めた先にあるもの。それが、すべてのことを超越した仏のような姿だったというのはとても心が揺さぶられます。求道者というのこうではなくてはいけない。それほどまでに厳しいことなのでしょう。
不屈の棋士
さて、今日は大川慎太郎『不屈の棋士』(講談社現代新書)の感想です。将棋のプロ棋士が「台頭してきたコンピュータについてどう考えているのか?」、「圧倒的な強さを持つコンピュータが誕生してきている今、このまま棋士はどうなってしまうのか?」という一冊です。登場するのも羽生善治、渡辺明、森内俊之、糸谷哲郎などなどそうそうたる名前が並んでおります。
近年、ニコニコ動画の電王戦で、コンピュータに苦戦している人間側。時代の変革期に来ていると考えている人が多いと思います。
今回のインタビューでも多くのプロたちが、コンピュータの実力を認めています。より強いコンピュータを手に入れることができたプロが、そのコンピュータを通した研究によってアドバンテージを得ることができるという情勢になりつつあるようです。もしかすると下位のプロは、仕事がなくなってしまうかもしれない。コンピュータの登場で、今までそこにあったはずのパイがいつの間にか数を減らしてしまい、壮絶な奪い合いが始まることになるかもしれないという危惧を多くのプロが持っている様子です。
結局これは将棋の世界に限らないで、全世界的に何百年にも亘って起きている現象です。産業革命以後、機械の登場で、熟練工たちが次々に仕事を奪われていってしまった。それが、近年ドンドン大きくなってきている。
果たして、コンピュータによって人間は追い詰められていくのか?それとも、使用者としてそれを制御できるのか?どうのような結末になるのでしょうか?。コンピュータという文明の利器によって人間世界が原始的で鮮烈な競争社会となるというのはかなり皮肉的です。
聖の青春
この本は、二十九歳で亡くなった将棋のプロ棋士、村山聖九段の一生を描いたノンフィクションです。幼少期より難病と闘いつつも、師匠や家族による献身的なサポートによって将棋界最高位リーグA級に登り詰め、これからというところで亡くなってしまった天才の一生。羽生善治や谷川浩二、佐藤康光など当時のトッププロと病気と闘いながら、しのぎを削っていたというのが凄い。
あるアンケートについての村山の答えがとても印象的です。
「神様が一つだけ願いをかなえてくれるとしたら何を望みますか?」
「<神様除去>」
難病と闘い続けることを強いた運命への呪いとそれをも超えていこうとする強い意志が感じます。棋界のトップ「名人」のタイトルを取り、引退する。そしてふと語られる淡い結婚願望。彼はいくつものことを夢に見て、それを果たせず亡くなってしまったのですが、彼の願望からも強い闘争心と、それとは別にある「普通」への憧れが読み取れます。
「死」というものがそこにあるからこそ、「生きる」という行為が生まれてくる。そんな風に思いました。