【書評】初恋/カラマーゾフの兄弟

はじめに

ということで今日はロシア文学の書評です。

トゥルゲーネフ『初恋』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の感想になります。

ネタバレ有の書評になります。ご注意ください。

『初恋』

(あらすじ)
 著者の半自伝的な作品。ある日、別荘の隣に引っ越してきた女性に心奪われてしまったウラジーミル。彼女に言い寄るたくさんのライバルと競合するも、彼女が選んだ男は意外な人物だった。

(感想)
 さて、今日は調子が良いので昨日読んだばかりのトゥルゲーネフ、沼野恭子訳『初恋』(光文社古典新訳文庫)を紹介します。前に、岩波文庫版か何かを借りて読んだのですが、光文社古典新訳文庫版も読みたくなり買ってしまいました。これは読みやすいですよね。さて、ネタバレ有なので気を付けてください。

 ネタバレとは何かといいますと、思い人の意中の相手は、実は主人公の父親だったという衝撃の展開です。彼女が主人公に対して、コロコロ態度を変えていたのはこれが原因。父子の関係が悪化するのかと思いきや、主人公が父親を尊敬するというのは一種の性の目覚めですね。「男」という競争を勝ち抜かなければいけない強い存在への憧れという風に言い換えても良いでしょう。

 本質的な「恋」とは何か?。私は「破壊」だと思います。恋人との従来の関係の破壊、家族との関係性の破壊。痛みというものでもそれをポジティブに変えてしまう魔法の薬。劇薬だからこ魔法が切れた時の反動が大きいのでしょうが。だからこそ、始めるときに壊す勇気は必要になる。壊すことが産み出すことにもつながる。不思議な関係ですね。

 初恋というだけあって、主人公の精神状況もグルグル変わります。そして、それが世界の見え方にも影響してくる。風景描写がそのまま、主人公の状況を暗示している美しい作品でした。

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『カラマーゾフの兄弟』

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(新潮文庫)です。成金の男が殺された犯人を捜す推理小説のようで、成金の男の子供たちとその周囲の人びとが繰り広げる思想小説でもあり、神という存在にまで言及する神学書でもあります。

 この物語全体が一つの「神殺し」だと思います。神という存在を否定した人間が、徐々にその思想を広げていき、その支持者が最終的には神までも手にかけてしまう。一種の科学批判でもある物語です。科学という新しい「神」を作り出した人間が、今までいた宗教的な「神」を抹殺してしまう。

 神がいるからこそ人々は罪を背負ってしまうのか?神が作り出した罪を否定して人は生きていけるか?。「神」は「心」とも言い換えることができるかもしれません。人間性の中には「神」という存在がいなくてはならないのではないか?。とても考えさせられる物語です。

『 イワン・イリッチの死 』・『獄中からの手紙』書評

はじめに

今回の書評は。トルストイ『 イワン・イリッチの死 』 ガンディー『獄中からの手紙』の二冊について書いていきたいと思います。

『 イワン・イリッチの死 』

死という魂の解放

 さて、今日はトルストイ『イワン・イリッチの死』の感想です。

 タイトルが少し危ない感じになってしまいました。

 この作品は、ロシアの官吏が不治の病におかされ、死にいくまでを描いた小説です。

 目前に控えた死への恐怖と病魔によって引き起こされる激痛。

 とても重苦しい小説です。

 生々しい苦痛がずしり、ずしりと伝わってくる。

 しかし、最後にある苦痛からの解放。

 この瞬間に一気にすべてが解き放たれる感覚。

 この感じがやっぱりトルストイだな、読んでいてよかったなと思います。

 最後の瞬間、主人公が苦痛から解放され、死に喜びをおぼえるシーンがとくに印象的です。

 単純な苦痛からの解放ではなく、今まで自分を制限していた肉体との決別。

 そして、広がる魂の世界。

 そこにたどり着いた喜び。

 無限の連鎖によって、引き起こされる「魂の不死」。

 トルストイ作品の味わいが濃縮されております。

 魂の不死について語ると長くなるので、過去のこの記事を読んでください(笑)

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『獄中からの手紙』

完全なる無私とそこからもたらされる真理

 さて次はガンディー 森本達雄訳『獄中からの手紙』(岩波文庫)を紹介します。

 この本は一九三〇年に刑務所に収監されたインド独立の父ガンディーが弟子に宛てた手紙をもとにしたもので、彼の思想が凝縮された一冊です。

 多くの東洋思想の根幹には、「捨てる」ということがあると思います。例えば、仏教や老子、夏目漱石、『菜根譚』などなど。その中でガンディーは最も「我」というものを捨て去ることを目指した人だったのだと思います。特にアヒンサー(非暴力)を「愛」と定義し、それを直接的な暴力だけではなく、精神的な嫉妬や独占欲まで広げているのが面白いです。そこまで捨て去ることができれば、「無私」という境地にたどり着けますね。

 その無私というものを持ちえたガンディーだからこそ、インド独立の父という象徴になることができたのだと思います。手っ取り早く独立できる「武力」というものを用いず、あくまで「愛」を全面に押し出すことで目的を達成させる。無私の境地にたどり着けた人物だからこそ取り得た独立だと思います。

 仏教といった捨てる思想を生んだ土地で、その思想の結晶となった人物が活躍したのは運命的なものを感じますね

【書評】『人はなんで生きるのか 他四編』/『人生論』

人はなんで生きるのか』

(あらすじ)
 とある貧しい靴屋が、ある日不思議な男と出会う。「神様から罰せられた」という男の身を引き取った靴屋。何年も共同生活送るうちに、男はとあることに気がつき奇跡が発生する。表題の他四編を収録したトルストイの民話集。

(感想)
 さて、今日はトルストイ作、中村白葉訳『人はなんで生きるのか 他四編』(岩波文庫)です。トルストイの短編は、彼の主張が強く出ているので読んでいて面白いです。特に表題「人はなんで生きるのか」は面白い。

 結局のところ、「人はなんで生きるのか」という問いに対する回答「人は愛によって生きる」というのがトルストイの考え方を端的に表現しているのだと思います。「他者を愛する」行為の連鎖が、最終的には神という存在にたどり着く。この思考はトルストイ流の「神の存在証明」なのかもしれません。

 トルストイ作の物語において、この愛の連鎖に気が付く時、光が見える描写に出会えます。『光あるうち光の中を歩め』や『戦争と平和』、そしてある意味気が付いた『アンナ・カレーニナ』などなど。この最後の光を見るために自分はトルストイの作品を読んでいます。この光は、つまりトルストイの言うところの「神さま」だと思います。

 すべての苦悩を超えた先に見えるあの光。すべてが救われた気持ちになります。

 「……愛によって生きているものは、神さまの中に生きているもので、つまり神さまは、そのひとの中にいらっしゃるのです。なぜなら、神さまは愛なのですから」(53頁)

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『人生論』

心を摩耗させる社会への挑戦

 さて、今日はトルストイ『人生論』(角川文庫)の書評です。トルストイは私が一番好きな作家の一人で、この作品は物語ではなく、トルストイ本人の思想について書かれています。なので、彼の大作を読む前に読んでおくと作品についての理解が深まるはず。

 彼の思想の根幹にあるものは個人的に以下の3つだと思います。

  ①知識偏重の生き方を否定し、理性に従った生き方を目指す。
  ②自分の持つエゴから離れて、愛というものを中心にして生きていく。
  ③魂の不死を信じることで、死への恐怖を克服する。

 ある意味では原始回帰といえる考え方かもしれません。科学技術の発展により、神をも殺してしまう世界を否定し、夏目漱石の言う「則天去私」のような生き方を追求する。科学の発展という禁断の果実により、自分たちの心や信仰を殺しながら生きている人たちのアンチテーゼですね。

 そして、ある意味では圧倒的なまでもの「楽天主義」にたつ③。人と人とが触れあうことで、互いの魂を交換しそれを保存する。保存した魂が別人と触れ合うことで、他者に自分の魂が動いていきそれが永遠と続いていく。さらに、もう一つ。昨日と今日では自分は別人である。寝ている時に生まれ変わっているようなもので、死というものはその延長に過ぎない。こういう世界で死を恐れる必要があるのか?。すごい発想です。

 これを読んだとき、とても明るい気分になったことを覚えています。トルストイの思想は西洋と東洋の良いところを組み合わせているように思うのでとても魅力的です。

 人生の羅針盤として非常に面白い一冊なのでぜひお読みください!


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【書評】トルストイの魅力を語る

新年になったので、私が一番好きな作家「トルストイ」の魅力について、書いていきたいと思います。
(この記事は、以前別のブログで書いた記事を加筆したものです)



1.はじめに

トルストイの何がそんなに好きかというと、仏教や老子といった東洋的な考えと西洋のキリスト教、ロシアの大地への信奉といった色々なものが合体してできあがった彼の思想です。西洋の作家でありつつも、執着を超えた先にある彼の理想像がとても東洋的で不思議な感覚になります。

周囲(友だち、読書メーターの読友さん)にはドストエフスキー派が多いので少数意見ですが、いままで読んだ本で1番感動したのが『戦争と平和』です。岩波版で読みましたが、特に5巻がよい。

ナポレオン軍の捕虜となった主人公が、収容先で出会う捕虜仲間プラトン・カラターエフ。このプラトンがいままでフィクションで出会った登場人物で1番好きです。2人で芋を食べるあのシーンで、自分は人生を変えられました。すべてを受容し、憂うことがない。本来ならば1番欠乏を感じるであろう捕虜生活で、満ち足りているプラトン。足りないことが幸せであって、過剰は不幸へと繋がっていく。人生観を揺さぶられる価値観でした。

衰えた体で行軍についていけず、処刑されてしまうプラトンの最期もとても好きです。自らの死を、淡々と許容していくあのシーン。彼は「死」を神からの「赦し」と考えているのがとても印象的でした。そして、死すらも乗り越えた先にある「魂の不死」という結論。本当にトルストイの思想が具現化した存在なのだと思います。

2.戦争と平和

引き続き『戦争と平和』について語っていきます。

この作品のどこが好きかというと、トルストイのお決まりパターンを大長編で余すところなく味わえるところ。主人公が苦悩し、解決策をみつけたようにみえて、じつはそれは挫折に繋がっている。挫折の果て、苦悩に苦悩を重ねたさきに、みつかる本質をもった終着点。この終着点を、私は「光」だと感じています。死と隣り合わせになりながら、極限状態でみつかるその光を味わうために、私はトルストイを読んでいます。

この作品の光は、プラトンが紡いで、彼の死を通して、主人公のピエールの中に入ってくる。この一連の流れが、トルストイの考える「魂の不死」です。

『人生論』でも語られますが、この「魂の不死」という概念が、トルストイが長く読まれている作品を作り出した原動力のようにも思えます。それについては、次節で……。

3.魂の不死

魂の不死とはなにか。一言でいってしまえば、死という概念から「肉体的な死」と「精神的な死」を2つに分けてしまう考え方です。肉体が活動できなくなったとしても、精神的なつながりによって「不死」は実現できるという主張です。

人と人との関係のなかで、お互いの考え方や主張を他人へと影響させて、それが延々と連鎖していく。『戦争と平和』でも、プラトン亡き後も、主人公ピエールの中では彼が最高の教師であり、影響を与え続けていたことが「魂の不死」です。自分の考えの一部が他者へと入り込み、他者によってそれがまた別の者のなかへと動いていく。こうすることで、人は人との関係のうえで生き続けていく。

トルストイも彼の作品によって、不滅の存在として生き続けている。だからこそ、不変的なメッセージ性を残し続ているのだと思います。

この考えを知ったことで、死という恐怖からもかなり解放されるのではないでしょうか?

4.光

最後にトルストイの最大の魅力でもあるラストの光についてです。トルストイの作品の基本的な構成は、主人公を悩ませること。ひたすら主人公に苦難を与えて、その苦悩からひとつの答えをみつけさせる。その答えをみつけたときに、読んでいるこちらも光をみたかのような感覚になります。

とくに『イワン・イリッチの死』がその傾向が強いです。不治の病に苦しむ主人公が、最後に見える光。死という概念を主題におくことで、「生」というものを際立てていく。この最後の描写が圧倒的。生きることという執着からの解放としての死という存在がこの物語の「光」です。

作品によっても、この光は変わっていきます。信仰への芽生えだったり、自分のおかれた境遇だったり、魂の不死だったり。それが、光として最後に現れてくる。この瞬間が至高の時間です。

『ファウスト』の「時よ、止まれ。汝は美しい」の一文を叫びたくなります。読書最高の喜びを私はトルストイ作品で何度も味わえました。