【自作小説】もう遅いよ

「おれをそんな目でみるんじゃねえ」

私は、彼の怒声とともにはげしい痛みを感じた。どうしてこんなことになってしまったのだろう。こんなはずではなかった。たぶん、彼もそうおもっているはずだ。ふたたびおなかを蹴られる。

「いたい、もうやめて」とかすれる声で私はそういった。意識がもうろうとする。

彼の足音がきこえる。どんどん小さくなる。ばたんという扉の音とともに、私は意識を完全に失った。

目がさめると、彼の姿はどこにもなかった。テレビから流れる深夜の通販番組の声だけが、部屋に鳴りひびいている。私はすべてを失ってしまったことに気がついた。きっと彼はもう帰ってこない。そう考えると、絶望感が体を包みこむ。蹴られた体のふしぶしが痛い。もうなにもする気がおきない。消えいる声で私はつぶやいた。

「わたしはこんなことをするためにいきてきたの?。ママにあいたいよ」

テレビは依然として音を流し続けている。番組は朝のニュースになっていた。幸せそうな家族がインタビューに答えている。

「これからどちらへいかれますか?」

「家族みんなで海外にいってきます」と父親が笑顔で答えていた。

うらやましい。私だってこんなふうに笑っていたかった。家族旅行なんてほとんどしたことがない。

昨日だって、きっかけはささいなことだった。なんでわたしだけが。涙があふれてくる。もうやめよう。なにもかもすべて終わりにしたい。

いつのまにか眠ってしまったようだ。どれだけ寝ていたのかもわからない。テレビからは陽気な音楽が聴こえてくる。

夢をみた。小さいころの夢だ。ママは元気で、私をだっこしてくれていた。2人でどこか遠出したのかな。見おぼえがない景色を2人でみている。とてもたのしかった。帰りにママとファミレスでごはんをたべた。お子様ランチを幸せそうにたべる私。ママも楽しそう。

「もうあなたも3歳になるのね。パパがいなくてさびしくない?」

「うん。ママがいるからさびしくないよ。ママだいすき」と私は答えた。

「じつはね。……ママ再婚しようと思うの」

「サイコン?サイコンってなーに?」

「あなたに新しいパパができるってことよ」

「あたらしいパパ?よくわからないよー」

「そうよね、フフ」

夢が終わってしまった。そのあと私には新しいパパができた。最初は幸せだった。3人の生活は、なにもかも新しくてたのしかった。でも、それは長く続かなかった。

5歳のとき、ママが死んだ。交通事故だった。私は「死」ということがよくわからなかった。いや、いまでもよくわかっていない。私は「ママはどこにいるの?」と聞いて大人たちを困らせた。大人たちは「ママはお星さまになったんだよ」と彼らは答えた。大好きなママにもう会えないという事実だけが残った。生きているなかではじめてわきでてくる気持ちに私は泣いた。

「ママにあいたいよ」

やさしかった新しいパパは悲しんで、お酒ばかり飲んでいた。話しかけても、答えてくれなくなった。そんな状態が長く続いた。でも、私が小学校に入学したとき、彼はとてもよろこんでくれた。

「ママもおまえのランドセルすがたみたかっただろうな~」

毎朝、これが口癖になっていた。休み時間はいつも本ばかり読んでいた。本のなかに、ママがいるような気がしていたのかもしれない。

また、ねむくなってきた。テレビでは、よくわからない外国の映画が放送されている。

夢のなかで私は中学生になっていた。

わたしは友達とはしゃいでいる。

「ブレザーがもうすこしかわいかったらよかったのにねー」

なんだか気が抜ける。でも、とてもたのしそう。

次の場面で私は大人になっていた。彼と出会いしあわせそうに笑っている。

「だいすき」

「おれもすきだよ」

こんな会話が延々と続いている。

目がさめた。結局、すべて夢だった。

かれに蹴られたおなかがまだいたい。もうごはんもなん日もたべていない。どんどんちからがぬけていく。

トークばんぐみの音が流れていた。それもすこしずつ聴こえなくなっていく。なにもみえない。もうすぐママにあえるかもしれない。

ドアがひらいたきがする。かれがかえってきたのだろう。でも…

「もうおそいよ」

すべてがひかりにつつまれた。

テレビではニュースが流れていた。

「さて、次のニュースです。今朝、○○県△△市のアパートの一室で女児の遺体が発見されました。隣人からの通報で判明し、遺体はその部屋に住んでいた9歳の女児だと思われます。また、女児と同居していた父親は、現在、行方をくらませており、現在、県警が重要参考人として捜索作業をおこなっております。近所の住民の話では、女児の泣き声などがときおり聴こえており、常態的に虐待がおこなわれていた可能性もあります」

【自作小説】『だいぶ』

おれは今、車で空を飛んでいる。

月の光がうつくしい。どうしてこうなったのか。よくおぼえていない。気がついたらこうなっていた。

昨夜、友達に誘われて、飲みにいったのはおぼえている。日ごろの愚痴をいい合い、いつの間にかこうなっていた。

どうやら、いつもの癖で飲酒運転をしてしまったらしい。おそらくスピードを出しすぎて、曲がりきれず川へと落ちようとしているのだ。

道から川まで3メートルくらいの高さだ。本来ならすぐ落ちるはずだ。なのに、すべてがゆっくり動いている。なんという体感時間だ。これが走馬灯というやつか。

家族から、何度いわれてもやってしまった飲酒運転。これがその報いなのか。親もあきれるだろう。いや、そもそもこれは親が悪いのだ。なぜなら、これは親譲りの悪癖だ。おやじだっていつもやっていた。

あの強面のくせに、小心者のおやじはいつも酒に逃げていた。いわんや、息子のおれもそうなるに決まっている。

嫌なことがおきれば、酒が忘れさせてくれる。そんな悪循環に気がついて、自己嫌悪に陥っても、酒だけはおれの味方だ。その嫌悪も、飲んでさえすれば忘れられるのだ。家族はそんなおれを責めるが、その責めさえも酒をのむ口実になる。最高だ。まさにロックンロール。笑えてくる。

川がどんどん近づいてくる。酒を飲んで、こうなるんだ。ある意味では本望なのかもな。おれらしい最期だ。

どぼん。激しい水音とともに、おれの意識は消失した。

 ※

月がよく見える。

「痛てえな」

気がつくと俺は川に浮かんでいた。全身が痛い。落ちた拍子に、車内を脱出して川に投げ出されたらしい。運がよいんだか悪いんだか。酔いも醒めてしまった。

そこで、俺は気がついた。飲酒運転をして事故ってしまったという現実に。これはまずい。まずすぎる。なにがまずいって、俺は社会人だ。それも結構お堅い職業。こんなことがバレれば、一瞬にして社会的に抹殺されてしまう。テレビのニュースとネットでの楽しい、楽しいお祭りさわぎが待ち構えている。

早く証拠を消さなければ。とりあえず、あのぷかぷか浮いている車をどうにかしなければ。目立ちすぎる。あの真っ赤な車体が、いい逃れができない現物証拠となっている。

「おりゃあああ」俺は全力で、サイドガラスにパンチを浴びせる。

「うう」声にならない悲鳴をあげる。そりゃあ割れるわけがない。さっきの事故でも割れなかったのだからな。しかし、ヒビは入った。

土手の石を使えばよいじゃないか。俺はいそいで土手にいき、大きめの石を拾い、ガラスにぶつける。

「パリィン」

綺麗な音でガラスが割れた。水が車内に勢いよく入っていった。

だが、おかしい。車が沈まない。

そこで俺は重要な事実に気がついた。

「浅いんだ、この川」

俺の足も川底についている。はじめからわかっていたのだ。どうして気がつかなかった。残ったのは、ぷかぷかと浮かぶ赤い乗用車と不自然に割れたサイドガラス。怪しい、怪しすぎる。このまま放置したら、明日の朝には家に、紺色の制服をきた人が来てしまう。いや、現行犯でなければ……

「なんかすごい音したぞ。おい、あそこ車が浮いてるんじゃねぇか」

近くに住民が集まってきてしまった。もうここまでなのか。

完全に青ざめた俺は、勢いよく川の水を飲みはじめた。最後のわるあがきだ。こうすればアルコールが薄れるかもしれない。

ひどい味がする。あきらかに泥川だ。水質だってよくない。急な吐き気とともに、俺は意識を再び失った。

月だけが俺を見つめている。遠くでサイレンが鳴り響いている。

見知らぬ男たちの声が聞こえる。

「きみ大丈夫か。」大丈夫なわけないだろ。

「おい、佐藤。こっちに来てくれ。誰かもうひとりいる。車から逃げ遅れているみたいなんだ」