【書評】休む技術・ 歎異抄 ・老年について

休む技術

 さて、今日の書評は西多昌規『休む技術』(大和書房)です。簡単にいうと「どう楽しく休んでリフレッシュした方が良いのか」ということを突き詰めている本です。自分は休むことが苦手で、しっかり休んだつもりでもなんだか疲れが残ってしまう。日曜の夜はみごとにサザエさん症候群という状況です(笑)。このままでいけないと思い、この本を読みました。

 この本を読んで、「もっと休みというものを真摯に味わうべきだった」ということに気が付きました。リフレッシュできなかったのは、休みというものに真摯に向き合えなかったからなのですね。

 一切、休まないで動き続けていたら、シャットダウンしないパソコンと一緒で動かなくなりますからね。「仕事のために休む」のではなく、「休むために働く」、「いかに合間に休むのか」のようなスタンスが大事なのだなと気が付きました。

 週末鬱なので、悩む方々におススメの一冊です。

歎異抄

歎異抄 (光文社古典新訳文庫)

自力という傲慢

 さて、今日は唯円著・親鸞述、川村湊訳『歎異抄』(光文社古典新訳文庫)です。なんと『歎異抄』を関西弁訳してしまう思い切った一冊です。

 これ以外にも『歎異抄』を読んでいますが、予想の斜め上をいくので紹介します。はっきり言って賛否両論の一冊ですが、これはこれで面白い。読む人を選ぶ面白さです。

 この本は特に悪人正機説で有名だと思います。

 「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」(60頁)

 これが

 「善え奴が往生するんやさかい、ましてや悪いやつがそうならんはずがない。」(17頁)

 と訳されます。うーん臨場感たっぷり。

 どうして、悪いやつが往生できるのか?。私は悪人正機という考えは、人々の傲慢を批判するものだと思っています。つまり、「人が往生するのは、阿弥陀様の力(=他力)によってのみであり、それを自力で成し遂げようとするのは傲慢にすぎない。よって、他力にすがる(もしくはすがらざるを得ない)悪人は往生ができる」ということです。

 原始仏教や修行に力を入れる他宗派とはまた違う思想です。しかし、今まで救済を受けることができない人たち、あるいは一般民衆まで、救いを授けようとした親鸞の考えもまた否定できるものではないと考えております。エリートしか救済が難しかった従来とは異なる、大衆に対する救済。日本でこの宗派が多いのも納得です。

老年について

老年について (岩波文庫)

 さて、今日はキケロー著、中務哲郎訳『老年について』(岩波文庫)です。久しぶりの哲学書ですね。古代ローマの哲学者・政治家のキケローの著作です。

 老いること。ほとんどの人は嫌なことと考える現象です。大抵の人が、青春時代や壮年期などを人生の全盛期だと考えているでしょう。老年=公からの退場や体力の衰え、病気などと結びつき暗いイメージを持つことでしょう。

 しかし、キケローはそれを否定し、老年の意味を考えていきます。「そもそも、老年に体力を求められていない」という説明はもっともですね。必要とされる役割を意識して、その役割を果たして活躍すること。その際に、今までの人生で培った財産を役立てていく。このような行動ができれば、老年期が人生の全盛期にすることは可能だと私は思います。

読書エッセイ「好きな本」・「私の読書法」

「好きな本」

 「自分の好きな本の共通点って何かな?」と考えた時に、一番最初に来るのが「私に生きる方法を教えてくれること」という結論に至りました。特に、エゴというか、自分の中にある虚栄心というか、そういう生きる意味ではあっても無駄になるものというものをそぎ落として、本当の自由というものを求めていく生き方を教えてくれる本。

 ただ、そこで「自由」という単語の難しさに悩みます。「自由」って何?。自由とは立場や価値観、育った環境でいろいろな姿になってしまうものだと思っています。自分らしい「自由」。「自分の中にある不自然な欲求を信じないで自然に生きること」というのが自分にとっての自由だと考えています。

 悪く言ってしまえば「状況に流されているだけ」なんだけど、そこに私心がないことが大事。革命とかによって得られた自由には、どこかに誰かの私心があるように思えてしまう。他人が作ったユートピアって、本当に楽園なのでしょうか?。へそ曲がりの自分にはあんまりそうは思えないんですよね。

 素朴に生きること。『戦争と平和』のプラトン・カラターエフみたいな考え方が今の自分の理想形なのかなと思っています。

「私の読書法」

 コツは読み返さずに一気に読む。そして、面白かったら飽きるほど繰り返し読む。こういう読書法を十年以上続けたらこんな読書スピードになりました(笑)。自己ベストは一日二千頁。このブログで紹介する本もできる限り三回以上は読んだ本に限定して感想を書いています。

 私の好きな歴史上の人物に米内光政という人物がいます。彼は、日本海軍の将軍で、海軍大臣、首相など重要ポストを歴任して、終戦工作で活躍した人ですが、酒と読書が大好きだったそうです。彼は「本は三度読むべし。1回目は始めから終わりまで大急ぎで、2度目は少しゆっくり、3度目は咀嚼して味わうように読む」と言っていたそうです。私もこのエピソードを聞いてさらに、彼が好きになりました。

 何度も繰り返し読むというのが読書の醍醐味で、その繰り返し読める本に出会うことが人生の目的の一つではないかと思っています。駄文を失礼しました(笑)

【将棋・書評】 「大山康晴の晩節」・「不屈の棋士」・「聖の青春」

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大山康晴の晩節

さて、今日は河口俊彦『大山康晴の晩節』(ちくま文庫)の感想です。またまた、趣味の将棋関係です。

 感想の前にこの本の主役、大山康晴について少し解説です。将棋界では歴代棋士の中で最強候補の最有力とまで言われている大名人です。圧倒的な「受け」で、ライバルたちの攻撃を受け潰し、無敵のような強さで勝利を積み重ねる。当時、将棋界にあった五大タイトルをすべて制覇し、それを何度も繰り返したまさに伝説の名人です。  全盛期の強さとして、この本ではライバルになる可能性のあるNo.2候補を完膚なきまでに叩き潰して、苦手意識を相手に与えることで圧倒的な立場を築いたと書かれております。なぶり殺しのような手を使ってでも、ひたすらに勝利を求める勝負師。背筋がゾッとするほど、勝利を求める姿勢です。

 さすがに加齢で圧倒的な力は陰りを見せますが、それでも将棋連盟の会長やがんの手術を繰り返しながら、トップテンクラスの棋士のみ在籍できる名人戦のA級を維持する。まさに勝負の鬼です。  がんとの闘病生活をおくりながら、迎えた一九九一年度の名人戦のA級。なんと彼は、並み居る強豪に打ち勝ち、リーグ内で同率一位となり、プレーオフに進出するという快挙を成し遂げます。この時の大山康晴の様子が凄いです。病気の影響でフラフラになりながらも、病気のことをなんとなく他人のことのように話し、顔面が真っ白でありながら、すべてを超越した「生き仏」のように見えたそうです。

 大山はこの次の年になくなるのですが、この様子に自分は一種の憧れを抱いてしまいます。才能を持ち、一時代を築きながらも、ひたすら勝利を求めた先にあるもの。それが、すべてのことを超越した仏のような姿だったというのはとても心が揺さぶられます。求道者というのこうではなくてはいけない。それほどまでに厳しいことなのでしょう。

不屈の棋士

不屈の棋士 (講談社現代新書)

 さて、今日は大川慎太郎『不屈の棋士』(講談社現代新書)の感想です。将棋のプロ棋士が「台頭してきたコンピュータについてどう考えているのか?」、「圧倒的な強さを持つコンピュータが誕生してきている今、このまま棋士はどうなってしまうのか?」という一冊です。登場するのも羽生善治、渡辺明、森内俊之、糸谷哲郎などなどそうそうたる名前が並んでおります。

 近年、ニコニコ動画の電王戦で、コンピュータに苦戦している人間側。時代の変革期に来ていると考えている人が多いと思います。

 今回のインタビューでも多くのプロたちが、コンピュータの実力を認めています。より強いコンピュータを手に入れることができたプロが、そのコンピュータを通した研究によってアドバンテージを得ることができるという情勢になりつつあるようです。もしかすると下位のプロは、仕事がなくなってしまうかもしれない。コンピュータの登場で、今までそこにあったはずのパイがいつの間にか数を減らしてしまい、壮絶な奪い合いが始まることになるかもしれないという危惧を多くのプロが持っている様子です。

 結局これは将棋の世界に限らないで、全世界的に何百年にも亘って起きている現象です。産業革命以後、機械の登場で、熟練工たちが次々に仕事を奪われていってしまった。それが、近年ドンドン大きくなってきている。

 果たして、コンピュータによって人間は追い詰められていくのか?それとも、使用者としてそれを制御できるのか?どうのような結末になるのでしょうか?。コンピュータという文明の利器によって人間世界が原始的で鮮烈な競争社会となるというのはかなり皮肉的です。

聖の青春

聖の青春 (講談社文庫)

 この本は、二十九歳で亡くなった将棋のプロ棋士、村山聖九段の一生を描いたノンフィクションです。幼少期より難病と闘いつつも、師匠や家族による献身的なサポートによって将棋界最高位リーグA級に登り詰め、これからというところで亡くなってしまった天才の一生。羽生善治や谷川浩二、佐藤康光など当時のトッププロと病気と闘いながら、しのぎを削っていたというのが凄い。

 あるアンケートについての村山の答えがとても印象的です。

 「神様が一つだけ願いをかなえてくれるとしたら何を望みますか?」
 「<神様除去>」

 難病と闘い続けることを強いた運命への呪いとそれをも超えていこうとする強い意志が感じます。棋界のトップ「名人」のタイトルを取り、引退する。そしてふと語られる淡い結婚願望。彼はいくつものことを夢に見て、それを果たせず亡くなってしまったのですが、彼の願望からも強い闘争心と、それとは別にある「普通」への憧れが読み取れます。

 「死」というものがそこにあるからこそ、「生きる」という行為が生まれてくる。そんな風に思いました。

書評『カンガルー日和』・『天才』・『五分後の世界』

カンガルー日和

カンガルー日和 (講談社文庫)

さて、今日は村上春樹の『カンガルー日和』(講談社文庫)の感想です。これは村上春樹の短編集で表題のほかに「眠い」「スパゲティ―の年に」などなどが収録されています。この本の中で一番好きな作品「図書館奇譚」を今回は紹介していきます。

(あらすじ)
 ひょんなことから老人によって図書館の地下に閉じ込められてしまった主人公。老人は主人公に一冊の本を暗記するように指示して、彼の世話を羊男に命ずるのであった。このままでは頭を切断されて脳みそをすわれてしまうことを知った男は、羊男ともう一人の不思議な少女と触れ合い脱出計画を練っていく。

(感想)
 いやはや、相変わらず不思議な世界です。常連の羊男も登場し、摩訶不思議な世界観です。村上作品はいつも不思議です。この不思議な世界観は、何かの例えではないかといつも妄想しながら読むようにしています。地下とはいったい何を意味するのでしょうか?。

 あくまで個人的な考えで、作者の意図とは別のものかもしれませんが、「地下」=「社会」のような気がします。人に知識を蓄えるように強制するものの、蓄えた知識はあくまで社会の養分としてのみ使うことを求められ、思考を奪われた人間は大衆化していく。その世界への反逆のようなお話だと思いました。

 これは男が脱出する物語ですが、同時に囚われた羊男を助けるもののように思えます。ある意味では、羊男は男の潜在意識のような。二人の男を助ける少女にはなんとなく「母性」というものを感じます。母性による社会という暴力装置からの独立というのがこの作品についての私の解釈です。

 専門家や作者からすると、何変な解釈しているんだと怒られそうですが、村上作品は難しくて面白いです。

天才

 さて、今日の書評は石原慎太郎の『天才』(幻冬舎)です。最近、本屋に行くとかなりの確率で、田中角栄関係の本が特集されています。「立身出世」という言葉は田中角栄のためにあるような感覚になってしまいます。

 政敵でもあった石原慎太郎が、自分の政治観を表現するために、田中角栄の霊言という形でこの本を発表したのは面白い。

 石原慎太郎を含めて、多くの日本人は「田中角栄」という人物、もしくは人生に一種の憧れがあるように思います。金権政治という負の部分を否定しながらも、決断力や実行力に惹かれてしまう。「天才」が作り出すカリスマ性に引き寄せられてしまっている。

 過去のカリスマに未だに囚われ続けているということは、社会全体に一種の閉塞感が蔓延してしまっているということでしょう。ブラック企業や高齢化などニュースはネガティブなものが多い昨今。それをぶち破ってくれる強烈な個性を社会が欲しているように思えます。それが果たしてどのような結果をもたらすのでしょうか?

五分後の世界

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

 さて、今日一番の感想は村上龍『五分後の世界』(幻冬舎文庫)です。これは時間が五分ずれた平行世界に迷い込んだ男を主人公に描く小説です。その五分後の世界では、太平洋戦争が長期化し、日本全土が連合軍に占領され、ゲリラが地下に潜り何十年も抵抗を続けています。主人公はゲリラ側につき、敵と戦っていくのでした。

 読んでいて、この世界は平行世界であって、平行世界ではないように感じました。現代世界の裏側、アンダーグラウンドと表裏一体なのではないでしょうか?。主人公、小田切が最初に居た世界が、私たちが住んでいる世界で、迷い込んだ世界が最初の世界の裏にあるような印象です。

 世界全体が帝国主義とは決別し、紳士的な対応を取っていますが、裏では弱肉強食で権謀術数の世界が繰り広げられている。倫理や科学といった服を着飾ろうとも、結局は攻撃的な人間の本性を風刺しているような作品です。

 自分の解釈は、たぶん作者の意見とはずれていると思います。俗にいう「戦後レジーム」からの脱却を意図して書かれているのではないかと思いますが、自分はより人間の攻撃性というものを読み取りました。

【書評】『寂聴と読む源氏物語』・『常陸国風土記』・『 日本仏教の思想 』

源氏物語

寂聴と読む源氏物語

寂聴と読む源氏物語 (講談社文庫)

 さて、今日は瀬戸内寂聴の『寂聴と読む源氏物語』(講談社文庫)です。名前の通り『源氏物語』の解説書です。自分は源氏物語を高校時代に読みはまり今でもたまに読み返しております。何度読み返しても面白いんですよね。

 今回の感想ではヒロインの一人「花散里」という人物に焦点を当てたいと思います。実はこの女性、美人ぞろいの登場人物たちの中であまり容姿がよくないないんです。しかし、この女性がある意味では、源氏物語の女性の中で一番幸せだと思います。

 地味で男にとって都合のよい女性。でも、執着がない。多くの女性が、浮気性の光源氏と関わることでなにかしらの不幸にあってしまう。その一方で、花散里は欲がないため常に源氏に信頼されて、長男の養育まで任されてしまう。常に一定の信頼感を得て、しかも嫉妬の炎に苦しむこともない。この本の中でも「世話女房」と言われていますが、まさにピッタリの表現です。

 あえて、物語に加わらないで、一歩引いたところで見ている状態。周囲の女性が不幸な目にあっていても、彼女は飄々としている。紫式部が求めた理想的な生き方を体現しているのかもしれないと思っています。仏教的な生き方というのでしょうか。私は彼女の人生に一種の憧れを抱いています。

 本の感想というよりも『源氏物語』で最も好きな女性の紹介になってしまいました(笑)。

常陸国風土記

常陸国風土記 全訳注 (講談社学術文庫)

 さて、次は秋本吉徳全訳注の『常陸国風土記』(講談社学術文庫)です。なんと奈良時代に書かれた常陸国(現在の茨城県と福島県の一部)についての書です。天皇によって命じられた風土記の中で現存しているのが五つの国のみなのでかなり貴重な本ですね。しかし、現存しているのも、要約版のみで原文ではないのが残念。それでも、奈良時代に書かれた本が読めるのはなんとも嬉しいかぎり。

 では、なぜ常陸国を選んだのか?実は私の出身地だからです(単純)。だからこ、思い入れもある。世間的には地味だと思われている茨城県ですが、歴史はかなり古いのです。それをうまくアピールできていませんが(笑)。農業国として豊かだが地味。これは奈良時代も変わらない感じです。水田も等級は中級のものが多いと書かれていますしね。

 古代人が妄想した「常世の国」という理想郷は、ここにあるのではないか?。なんてこの本には書かれていますが、住んでいてあんまりそんな感じはしません。農作物も海産物もいい感じには取れるのでそれをいっているんでしょうか(汗)。

 読んでいて、古代人の生活は至る所に神さまがいるのだと思いました。地名や行事の由来が、神話にさかのぼれる。神さまと同居していた古代人の生活。貝塚(縄文人のゴミ捨て場)が、巨人がいた痕跡ではないかと書かれているのも面白いです。そして、その伝説が地名とも結びつく。この神話がどこまで現実に基づくのか?歴史学では禁じ手の妄想かもしれませんが、一読書家としてはとてもワクワクする妄想です。実は、これが失われた歴史の真実の断片だった面白いと思いませんか?

日本仏教の思想

日本仏教の思想 (講談社現代新書)

 
 さて、最後の感想は立川武蔵『日本仏教の思想』(講談社現代新書)です。簡単に内容を説明すると、「インドより中国を経て日本に伝わった仏教思想が、どのように受け入れられて、在来の思想である神道などと共存することによっていかに変容したのか」を概説する一冊です。概説書とはいえ内容や用語はかなり難しかったです。ただ、本を読むにつれて、原始仏教と日本の仏教は別物ではないかと思っており、この本にその問題の解答を求めました。

 つまり、日本に伝わった仏教は、中国の老荘思想などと結びついたものであり、はじまりから原始仏教とは異なるものですが、平安時代の空海と最澄を起点に、鎌倉仏教の誕生を経て、江戸幕府の統制という流れのもと変容を遂げたという流れがはっきりわかりました。特に鎌倉時代の変容が、顕著です。

 念仏や題目、禅などによって、仏教が「大衆化」した一方で、従来の厳しい自己鍛錬や難解な理論を放棄(著者はこれを「精緻な知的体系を捨てた」と表現している)したことで、現世救済主義へと主軸を移しました。それは確かに素晴らしいことです。本来、最も救済を必要とするものたちに教えが伝わる一方で、私は原始的な仏教の魅力を切り捨てたことへの口惜しさというものも覚えます。

 原始的な仏教を見つめなおすことで新たな光を見つけることができるのではないでしょうか。

【書評】『孤独のチカラ』・『そうか、もう君はいないのか』・『ライフワークの思想』

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孤独のチカラ

 さて、今日は齋藤孝の『孤独のチカラ』(新潮文庫)の感想です。

 そもそも、「孤独」という言葉はあまりポジティブな意味で使われることはないと思います。しかし、この本ではこれを正の方向へ向かうチカラにしてしまう逆転の発想です。

 自分の人生を歩むためには、自分というものと向き合い、自分の世界を深化させていく作業が必要なのだと思います。それができなければいつの間にか人生が過ぎ去っていく。

 自分自身を深めていく時間が孤独でいる時で、この時間に教養を深めたり見つめなおしていく。あえて足りない状況に身を置いて、ハングリー精神を深めていく。そして、自己完結ができる独立人という人格が作られていくのだと思います。

 さて、いつもながら好きな一文を引用して終わります。

  「……書物を通せば、いつでも私たちは時代を超えて死んだ人と対話できるし、少なくともメッセージが聞ける。これは奇跡的なことなのだ。」(126頁)

そうか、もう君はいないのか

 さて、次は城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(新潮文庫)です。城山三郎といえば、経済小説や歴史小説ですが、これは亡妻との思い出を綴った手記です。城山作品は『官僚たちの夏』や『落日燃ゆ』、『黄金の日日』、『男子の本懐』など結構読んできましたが、私はこの手記が最も好きな作品です。

そうか、もう君はいないのか (新潮文庫)

 行きつけの図書館がたまたま休館日だったから生まれた偶然の出会い。夫人の第一印象を「間違って、天から妖精が落ちて来た感じ。」(12頁)と振り返っているのがとても印象的です。

 すべて、楽しい思い出なのに、どこかで寂しさが見え隠れする。奥さんを亡くしたという現在の視点で、楽しかった日々を思い出すからなのでしょうね。

 この本は作者の次女が後書きを書いているのですが、このタイトルも素晴らしい。「父が遺してくれたもの―最後の「黄金の日日」」がとても印象的です。両親の死が家族にとって最後の「黄金の日日」としているのがなんとも胸にきます。

 この手記にあるすべての思い出が「黄金の日日」の出来事なのでしょうね。温かく優しい思い出たち。自分もこのような黄金の日日を作っていけるのかな?

ライフワークの思想

 さて、最後は外山滋比古『ライフワークの思想』(ちくま文庫)の紹介です。著者の本は結構読んだのですがこれが一番好きです。

ライフワークの思想 (ちくま文庫)

 簡単に言ってしまうと「日本人は若い時に全盛期が来てしまい、その後枯れてしまう。ライフワークをもつことで晩年まで枯れない人生を送ろう」という考え方ですね。人生を通してやり遂げたいことを持つという考え方が大好きです。

 一生の目標を持つというのはなかなか難しいです。しかし、作者は人生を酒造りに例えていてそれに励まされます。自分がやりたいライフワークを寝かして置き、立派な酒に育てていく。人生の晩年で、寝かせておいた酒と自分の人生で培った経験や知識を結びつけて、ライフワークを完成させていく。

 自分もまとめてみたい歴史のテーマがあって、それをライフワークと心に決めています。まあ、歴史に専念するためには、お金が必要でとりあえずは金を稼がなくてはいけませんが(笑)。

 この本が言うように自分の人生の全盛期を晩年にもっていくことができれば素敵だと思いませんか?

【冴えカノ特集】まとめページ

saekano13

はじめに

ということで、冴えカノ劇場版公開のために本ブログにて特集を行っております。

今日でとりあえず、原作小説の感想をすべて書き終わったので、まとめページを作ろうと思い今回の記事を執筆してます。

冴えカノにはまった5年以上が経過してその集大成としてブログに特集を組んでいます。

カクヨムに二次創作冴えない彼女たちの育ちかた』まで書くくらいはまってしまいました(笑)

原作小説の感想・アニメ感想・考察記事の紹介ページになっています。

原作小説感想<1~13巻>

アニメ感想

考察記事

【冴えカノ特集】『冴えない彼女の育てかた』原作13巻感想

saekano13

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13巻感想前半

ついに最終巻ですね。

ネタバレ有感想です。ご注意ください。

前回の最後で、ついに告白をした倫也。

それに対して、加藤恵は……

ひたすら答えをはぐらかすのでしたw

いや~、こんな甘い展開を用意してくれとは、さすがは丸戸史明先生です。

一章分ひたすら甘い展開で、血中の糖分濃度が爆上がりです。

そして、告白しているのに、倫也は本当に失言を繰り返します。

恵を消去法で選んだとか正直すぎますよね。

『冴えない彼女の育てかた』じゃなくて『冴えない彼氏の育てかた』というのがこのラノベの本当のタイトルだと思います。

やっぱり、英梨々・霞ヶ丘先輩は、尊敬すべきクリエイターであって、同じ目線に立ってずっと過ごしていくメインヒロインとして考えることができなかったということなんですが、言い方がね~

丸戸先生は本当に情けない主人公を描くのがうまいです。まさに王道ラブコメ作家。

13巻感想後半

そして、後半戦です。

後半戦は、倫也と恵がライバルたちにきちんと付き合ったことを告白して、けじめをつけていく感じですね。

ラブコメだとここをぼかすことも多いと思います。

でも、ふたりはしっかりとけじめをつけていく。

ここらへんは、前作の『white album2』のかずさtrueエンドを思いだしますね。

律儀にしっかりとふたりを振っていく倫也。

特に、 英梨々の失恋シーンは結構ハードでした。

ボタンのかけ違いと強情なせいで、勝てるはずの戦いを落としてしまった。

倫也からの 英梨々 への好意は、明確でしたからね。

第一部の最後で彼を裏切らなかったら、仕事ではなく恋を選んでいたら、加藤は逆転されていたかもしれない。

ここら辺に関しては、別個の記事で考察を書きたいと思っています。

冴えない彼女の育てかたは、やっぱり恵による、恵のための物語でした。

物語の最後はそんな終りかたです。

さあ、ついに劇場公開まで1週間となりました。

劇場版がどのように終わるのかとても楽しみです!(^^)!

【冴えカノ特集】『冴えない彼女の育てかた』原作12巻・Girls Side3感想

saekano12

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12巻感想

 メインヒロイン加藤恵との誕生日デートをすっぽかし、主人公安芸倫也が向かった先は、敵( 紅坂朱音 )の入院先だった。そして、訪れるサークル崩壊の危機。

 正直、主人公の決断は賛否両論ですね。ここでそれをするの?。変な言い方をすれば、今の恋人を待たせて、昔の思い出に走るような。恋愛感情よりも、友人が持つ才能を優先させた決断。正直、自分は支持できなかった。

 ただ、これは最新刊を読むと、また少し違った感想を持ちました。メインヒロインを特別に思っているからこその、一種の甘えなんだと思います。選ばれなかった2人(霞ヶ丘・ 英梨々 )は、そこまでの信頼関係を主人公と築けていない。そこに気がつくことで、自分たちがメインヒロインに完全に敗北したことを自覚しなくてはいけない。才能を特別視されているからこそ、恋愛面では特別に成り得ないという切ない状況です。これがあるからこそ、最新刊が面白くなっている。この巻は盛大な前振りになっている。

 1部で本来やらなければいけなかったこと。それを清算し、2人は新しい可能性へとむかっていく。すべてはこの瞬間のために存在していた。そんな気持ちになる読後感です。

Girls Side3 感想

 いやーおもしろかった。このシリーズで、1・2を争うほどの完成度。なんども転げまわり、奇声を発するのをがまんしました。それほど、胸がキュンキュンする。読み終わった感想は「神の存在をみた」とつぶやきました。

 自分が求めているラブコメの完成形をみせられた感じですね。嘘つきなメインヒロインの赤裸々な心境があらわになっていく。やっぱりあの行動は独占欲だったのかとか、思った通りあの発言には嘘があったとか。今までキャラクターの深部にかかっていたもやがすべて取り払われてクリアになった感じ。この意地っ張りな衣を脱いでいく過程が、非常にグッとくる。これぞ、ラブコメの王道。

 良い本を読んだときって、少しトリップ気味になるんです。読後感がフワフワしていて、いつの間にか時間が過ぎている。文字列が一気に頭に入ってきて、バラバラになって光り輝くような、そんな不思議な気分。神秘主義なんて信じてはいませんが、これが「神の存在をみた」という状態なんではないかなと思っています。なにもかもが面白くて、一心に集中できることでみえてくる不思議で幸せな世界。数年に一度だけしか味わえない貴重な読書時間でした。少し危ない話になっていますね(笑)。さて、本編の感想です。

 ついに、物語の終着点がみえました。今まで、本心を隠していた意地っ張りなメインヒロインが少しずつ崩れていく。それが、とても幸せな崩れ方をしている。どんなに、隠そうとしても、否定しようとしても、もう心にあるのだから否定することができない。主人公に対しての気持ち。

 他のヒロインたちとは違い、主人公に特別性を求めているのではなく、普通であることを求めている。だからこそ一緒に歩んでいくことができると確信している。もうそれは、「恋」という次元でもなく「愛」というものなのかもしれない。それをもつことができたから、彼女は選ばれた。強力なライバルたちですら、たどり着けない次元にたつことができたのだと思います。

 特に最終頁のメインヒロインの挿絵がすべてを象徴しています。すべてを乗り越えて、満ち足りた表情。ここに物語が収束するんだなという満ち足りた読後感です。ここに私は「神の存在」をみました。

 さて、最後に一番グッときた文章を引用して終わります。仲間たちに「主人公と付き合っていないのか?」と問われたメインヒロインの一言。

「別に付き合ってないよ……”まだ″」(205頁)

 いままで作ってきた物語が一気に収束していく。次でいよいよラストです。

【冴えカノ特集】『冴えない彼女の育てかた』原作11巻感想

加藤11

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前半

ついに11巻の感想です。ここの感想を書きたくて、今まで頑張ってきました。本当に最高。
 
 ゲームのメインヒロインルートを、リアルのメインヒロイン加藤恵と考えていくストーリー。今まで主人公安芸倫也に対して、直接的に向けられていなかったヒロインの感情が一気に爆発する回です。

 ゲームのシナリオ作りと称して、イチャイチャを繰り返す大切なお仕事を読者のたうち回りながら読むことができます。もう至高。これがラブコメか。

 今回は引用がkindle準拠なので少しわかりにくいです。また、ネタバレ有です。未読の方ご注意を

 なにがすごいかって、電話でこんなセリフが飛び交うところ。

『別に、告白なんていらない。ただ、ほんのちょっと、好きになるきっかけでいい。何気ない言葉が、欲しいの。え? そんなんで好きになっちゃうんだ……って、そんな言葉が、欲しいの』(No.1842)

 メインヒロインシナリオの駄目だしですよ。決して、告白とかではない。こんな罠が、所々にしかけられている。もう、何度、爆発したことか。「余計難しい」と答える主人公に対しての一言。

『そっかな……時々、何気なく言ってない?』(同上)

「あれシナリオの話じゃなかったっけ?」と意地悪な質問を返したくなる箇所です。というかもう好意だだ漏れ。知ってたけど。

 そして、次のようなシナリオが出来上がりました。

キス描写もない。手も握ってない。いや、実のところ、告白さえもさせてない。本当に、ただ、二人が互いに何気ない言葉を交わすだけ。……ただ、二人が互いを大好きだってことが、あからさまに透けて見えるだけ(No.2031)

 まんま、今の状況じゃん。ゲームとリンクしてるじゃん。あまい、あますぎる。でも、そこがよい。いいぞ、もっとやれ。

 こんな感じに、ごろごろ転がりまわって、若干の奇声をあげながら読み返していました(笑)。

 少し長くなってしまったので、前半と後半にわけます。このままだと、自分の精神がもたない

後半

 最初に一言、感想を書いておきます。もう感謝です。この作品と出会えた、これまでのすべてに(笑)

 物語は後半になるにつれ、過激なイチャイチャに変わってきます。そうすべては、「ゲーム」のシナリオ作りのため。2人の関係を進展させるためには、何をすべきか?「手つなぎデート」という回答にたどりついた2人は、駅のホームで実践することに。

 恥ずかしいとか、ゲームを作るためにしょうがないとか言い訳を並びたてる2人。でも、いつの間にか、手を握り合っていたというオチ。ここは静かなんですが、その分ダメージが大きい。イメージとしては、上半身のアップ。いつもの軽快な会話。アングルが徐々に下にいって、手をつないでいたことが判明したような感じ。変なため息が出てしまう。

 そして、ゲームシナリオも佳境に入り、ついにあのシーンへ。台本を読みながら、テレビ電話で通話するふたり。もちろん、ここでも実演。

『でもさ、そんなに緊張することないんだよ、お互い』

「……どうして?」

『だって、悪い思い出なんかに、なるわけがないから』

「え……」

『歯がぶつかっちゃっても、笑っちゃっても、喧嘩になっちゃっても……何が起こっても、素敵な思い出になっちゃうに、決まってるから』(No.2283)

 多くは語りません。もう、この会話がすべてです。最高です。これが深淵で、ラブコメの真理。ふたりは画面越しに顔を近づけて、彼女はこうつぶやくのでした。

『なんで、今、ここに、いないかなぁ……』(No.2329)