ということで、今回は自分の将棋人生を振り返るエッセイですw
実は拙作『おれの義妹がこんなに強いわけがない~妹とはじめる将棋生活~』のPVが10万を超えまして、その記念エッセイとなります。

はっきり言って、こんな将棋人生を送ってはいけないという反面教師にして欲しい自分の将棋半生です。みなさんも笑って読んでみてください。
たぶん、1番の衝撃は、1級時代に3手詰が解けなかったエピソードでしょう(笑) そんな危ない終盤力をもつ自分が、今や詰パラアプリで、20手以上の詰将棋とか解いているので、世の中わからないものです。
こんな自分でも、一応有段者になれたので、みんなも頑張ろう笑
① 将棋を始める
まず、どうして将棋をはじめたのか。実は、自分が将棋を始めたのは、大学を卒業して、働き始めてちょっと時間が経ってからなんですよね。チェスはたまにやっていて、将棋で言うところの初段くらいの実力はあったんですが、将棋は駒の動きがかろうじて分かるくらい。
知っているのは、見た目がおもしろい穴熊。大好きな戦い方は、無敵囲いと、今考えてもやばいやつでした(笑)
仕事が終わって、日課の動画サイトを見ていたら、将棋の実況に遊戯王のBGMをつけてみたというネタ動画をたまたま見て、将棋をやってみるかとはじめました。
あの将棋は、伝説の逆転劇があったNHK杯 羽生vs中川。
ひふみんが「うひょー」と実況しながら、「あれれーこれもしかして頓死?」と言っていたのがきっかけでした。あれがなかったら、将棋をしていなかったでしょうw
そのおもしろおじいさん(かなり失礼ですが)、またたくまに数十手先の詰みを解説する姿に、カッコイイなと感動してしまったんですね。

とりあえず、この本を買って、「原始棒銀」の定跡を覚えたのが、私の将棋の第一歩。スマホで見つけた将棋ウォーズをスマホに入れて華々しくネット将棋デビューしたのでした。
そして、「原始棒銀」は強かった。
30級からはじめた私は、棒銀のおかげで1カ月で3級まで昇級したのでした(笑)
居玉の棒銀オンリーだったので、今思うと変態将棋の萌芽がここにあったんですねー(笑)
② 3級から2級へ
勝てるので将棋が楽しい。もっと将棋を勉強しようと私は、1手詰の本を買ってきました。
簡単で、一気に解いてしまったんですね。
よし、これで詰将棋終わり。3手詰はなんだか、難しそうだから後回しにしようと、得意戦法の棒銀を磨きかけようと、次の戦術書を買うんですね。それが、この本。

棒銀の名著ですね。私もわからないなりに頑張って、盤に本の内容を並べました。
ここらへんで、やっと舟囲いやら矢倉の形を覚えます。今考えると難しい内容なんですが、おぼえると意外と勝てるんですよね。棒銀って本当に優秀な戦法で、手筋も結構吸収出来てどんどん強くなっていくのを一番実感した時期です。
なんやかんやで仕事が忙しいなかでも半年くらいで、ウォーズ2級まで昇級したのでした(笑)
③ 棒銀の伸び悩み~奇跡の1級昇級まで
しかし、2級までくるとさすがに棒銀対策をしっかりできるひとが増えてきます。よって、勝てないw
ウォーズの達成率も、ひと桁台で低迷。
特に、角道を止めない振り飛車に大苦戦していたのでした(笑)
3手詰ハンドブックを買ってきて、解こうとしても、やっぱり解けない。
あきらめて、定跡研究に走る自分。
そんな時に、2chで見たのが、この戦法でした。

ええ、まさかの早石田です。
さっそく、勉強に取りかかる自分。
買ってきたのは、『久保の石田流』です。

またまた、分からないなりに頑張って定跡を覚える自分。
そうすると連戦連勝。みんな受け方を知らない。
鈴木流超急戦みたいな指し方で、序盤の研究手順を使って勝率を荒稼ぎしはじめたのです。
そして、将棋をはじめて1年後。
あいかわらず、詰将棋は1手詰しか解けない自分が……
まさかの昇級したのです。
そう、1級に……
こうして、1手詰しか解けない超問題児の1級が誕生したのでした……
そして、長い停滞へ続くのです(笑)
「1手詰しか解いたことのない1級の話~恥の多い将棋人生を送ってきました~」への3件のフィードバック