ということで今日は永瀬拓矢王座の伝説を振り返っていきたいと思います!
小学6年生で奨励会入り。
同期は、菅井竜也・斎藤慎太郎・佐々木勇気先生などそうそうたるメンツでした!
17歳でプロ入り!現行の三段リーグでは、当時歴代4番目の若さでした・・・
努力家というイメージが強いですが、スタート時点でかなりのエリートコースです。秀才というのにふさわしいですね。
三段リーグを戦った高校時代には毎日10時間前後の勉強。基本的な勉強内容は変わっていません。詰将棋はやらず、棋譜並べは2~3局。メインは実戦で、やはり10局以上、30局未満。ただし、持ち時間は、日々の勉強時間が増えた分だけ多くなったと思います。
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はい、勉強量がやばすぎます。将棋の才能はたしかに同期と比べると低かったかもしれませんが、努力の才能は怪物でしたね。
ここまで努力できるのも才能ですし、狂気に近いものがあると思います。
プロ入り数年間は、三間飛車の専門家でした。
端桂三間飛車による穴熊潰しなどで、有利になったらひたすら受けまくる根絶やしにするほどの受け潰しで勝ち星を積み上げます。
その猛烈な受け潰しは「大山康晴の再来」というふたつ名をもたらしました。大山康晴とは、昭和期に活躍した大棋士で、羽生先生のタイトル99期に次ぐ80期のタイトルを持つ怪物です。
他に大山康晴の再来とよばれた棋士は、風貌が似ていた渡辺名人がいますが、棋風においてはもっとも近かったのは永瀬先生ですね。
というわけでプロ入り後も、すさまじいインパクトを放っていました。
2010年に開催された第5回「白瀧あゆみ杯争奪戦」(当時は非公式戦で、男性プロも駒落ち戦となるが参加できた)に出場したときは、女流棋士2人・女流アマ(後にプロ入りする竹俣紅さん)を角落ちで粉砕し優勝。
竜王戦4・5・6組優勝、加古川清流戦、新人王戦で優勝する大活躍。若手時代に参加できる棋戦のほとんどで優勝するというすさまじい結果を残していました。
三間飛車から中飛車を指すようになり、ついには居飛車党に転向!
2012年からは完全に居飛車党になりました。
永瀬先生の名声がもっとも上がったのは、電王戦FINALの将棋ソフトSELENEとの対局でした。
中盤までにリードを作った永瀬先生は、角不成の奇手でプログラミングの不備をついて投了に追いこみました。
将棋の内容においても、将棋ソフトの特性を研究しつくした点でも、完勝というすさまじい結果を残しています。
電王戦FINALにおいて、実力で将棋ソフトに勝ったのは永瀬先生だけだと今でも将棋世界のインタビューで語り継がれています。
その後は、叡王・王座というタイトルを獲得。
敗れはしましたが、現役最強の豊島竜王とは叡王の防衛戦で、3勝4敗1千日手2持将棋という驚異の10番勝負で互角の勝負を繰り広げました。
また、藤井聡太二冠の研究パートナーとしてもお互いを高め合っているので期待です。
個人的には、藤井―永瀬時代の到来を待っています!!
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