それでは今回は、土居矢倉の復活について書いていきたいと思います。
というのも土居矢倉って、どうして組まれるのか?
この疑問って結構あると思うんですよね。
何十年も前に存在していた土居矢倉がどうして、現代によみがえったのか。
それは現代矢倉の歴史を振り返れば分かってきます。
私は今までの矢倉記事で、土居矢倉は「急戦矢倉及び同型矢倉に対して対応しやすい」と説明してきました。
実は、この説明は、「米長流急戦矢倉」についての一定の理解がないと土居矢倉についてわからないため、こう言ってお茶を濁してきました(笑)
米長流急戦矢倉がいかに土居矢倉に関係あるのか。
それは、矢倉の歴史を読み解く必要があります。
目次
ソフトと矢倉(~「矢倉は終わったまで」~)
ソフト以前の矢倉は、5手目▲6六歩が有力でした。
こちらはほとんどの急戦矢倉に強い形であり、▲4六銀3七桂戦法(矢倉▲3七銀戦法の延長上にあります)というすさまじい化け物戦法があり、初手から91手まで定跡化されている変化がありました。
しかし、この定跡を将棋ソフトは完全に覆します。
このふたつの戦法が誕生したためです。
・△4五歩戦法(▲4六銀3七桂戦法に組ませない手順)
・左美濃急戦(大前提であった5手目▲6六歩を咎める急戦の確立)
これによって、従来の5手目▲6六歩からのじっくりした相矢倉は壊滅しました。
これが俗に言う「矢倉は終わった」事件です。
つまり、(5手目▲6六歩型)矢倉は終わったのです(笑)
しかし、別の5手目の矢倉が復活します。
それが、5手目▲7七銀矢倉です。
これは、昭和期に流行した矢倉の形で、▲6六歩をギリギリまでつかないので、天敵の左美濃急戦になる恐れがありません。
ただし、こちらは他の急戦矢倉に弱いため、矢倉戦は「矢倉中飛車」と「米長流急戦矢倉」の2つの急戦矢倉が主戦場へと移行しました。
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米長流急戦矢倉と同型矢倉
そして、いよいよ主役の米長流急戦矢倉が登場しましたね。
実は、この急戦矢倉はかなり特殊で、5手目▲7七銀なら、先手も採用できるのです。
その結果、先手でも、後手でも急戦矢倉が大流行する結果となりました。
先手も後手もそれを警戒することとなります。
そして、どちらかが米長流急戦矢倉を拒否した場合なんですが……
専門的な手順の説明は省き、結論だけ言うと
先後同型の矢倉になります。
この流れから、先後同型矢倉も流行していくことになります。
先後同型矢倉と土居矢倉
そもそも同型矢倉は、5手目▲7七銀がトリガーとなります。
矢倉の5手目が▲7七銀に移ることで、後手の急戦と同型矢倉が増えることで、矢倉は平成矢倉とは別の形へと進化していくことになります。
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同型矢倉は、矢倉の中でも1手の違いでまるで解釈が変わる問題なので、詳細な説明は今後に譲りますが、その中で土居矢倉が復活しました。
はじめは、西尾先生が後手番で指し、その影響を受けた高見先生が先後どちらにも使用し、さらに藤井聡太先生まで使用することで、一気に市民権を獲得しました。
さて、ここでどうして土居矢倉が5手目▲7七銀及び同型矢倉と相性がいいのかという説明に移りましょう。
・角が使いやすい(従来の同型矢倉は角がかなり使いにくかった)
・角交換に強い(もともと土居矢倉は角換わりに使われていたので、打ち込みスペースがなくバランスが良い)
・同型矢倉の主戦場の一つである中央に厚みを作りやすい。
・土居矢倉側が先攻しやすい
自分はこの4点だと考えています。
まとめ
ソフト前後の矢倉の歴史
①矢倉5手目▲6六歩が、△4五歩戦法と左美濃急戦の影響で壊滅(「矢倉は終わった」)
②矢倉5手目▲7七銀が復活。
③▲7七銀型矢倉に強い米長流急戦矢倉と、それが成立しなかった場合の同型矢倉が増加する。
➃同型矢倉において、土居矢倉が戦いやすいことが判明。矢倉戦法の主流の座へ
まとめるとこういう流れですね。
「土居矢倉の復活について~ソフト以後の矢倉史入門「矢倉は終わったの本当の意味とは?」~」への4件のフィードバック