駒落ち定跡の発展史及び意義についての一考察
はじめに
ということで、前回の記事で書ききれなかった補足を書いていきたいと思います。
まずは、現在の駒落ち定跡がどんな風に発展してきたのかについて考察していきたいです。
駒落ち定跡の発展史
江戸時代~大観定跡の誕生
現存する最古の定跡書である大橋宗英の『将棋歩式』や棋聖と呼ばれた天野宗歩の『将棋精選』が現在の駒落ち将棋の原型と言われています。江戸時代は駒落ちの全盛期と言えるほどたくさん指されており、当時の大家たちがまとめたのがこれらの書籍ですね。国立国会図書館のホームページ上でもこれらは閲覧可能ですので、興味がある方はぜひとも見てみてください。
今とは違う棋譜の書き方なので結構戸惑うかもしれません。
この定跡書は、江戸時代以降も駒落ち定跡の基本となっていたので、升田幸三などもこの本で定跡を学んで感心したという趣旨のコメントを残しています。
この定跡を発展させたのが、木村義雄の1928年に出版した『将棋大観』です。これは現在まで、駒落ち定跡のスタンダードとして長く君臨している定跡ですね。
○○落ちの定跡と言えば、この本の定跡を指すほどの名著です。
現状の駒落ち定跡は、この本の部分修正をしているのが現状です。
今は、定跡の伝道師と言われる所司和晴七段が出版した『駒落ち定跡』がスタンダードになっていますよね。こちらは『将棋大観』の正統後継者であり、発展形ですね。ほかにも先崎九段の『駒落ちのはなし』も将棋大観の改造した定跡を根幹において理論を組み立てています。
駒落ち定跡の新しい潮流
しかし、駒落ち定跡(つまり、『将棋大観』の定跡)とは違う平手定跡を応用しようとする考えも出てきました。
たぶん、その先駆者が湯川 博士氏と故・真部九段です。
湯川氏は、4枚落ち定跡の棒銀では勝ちにくいことを証明し、銀多伝を中心とした駒落ち定跡を提唱しました。それが私のブログでよく出てくる『定跡なんてフッとせ』という名著です。
真部九段は、駒落ちの速攻定跡(4枚落ちの棒銀・二枚落ちの二歩突っ切り・飛車落ちの右四間飛車)の勝ちにくさを指摘して、飛車落ち・角落ちの時の下手四間飛車など新しい定跡を考案しました。
『新駒落革命』

さらに、その流れを発展させたのが、高橋道雄九段です。棒銀・中飛車・四間飛車・三間飛車・矢倉といった平手定跡で駒落ちまでカバーしてしまおうという革新的な定跡書が前回紹介した2冊の本です。
『駒落ち定跡』・『棒銀と中飛車で駒落ちを勝て!』


まとめ
簡単に今までの内容をまとめると、今の駒落ちのトレンドは以下の二つに集約されます。
・将棋大観の発展形
・平成になって開発されてきた平手定跡の応用型
以上、このふたつが現状の駒落ち定跡となっています。
個人的には、しっかり将棋を上達させたい時は、大観定跡を学習した方がいいと思います。この定跡は手筋の宝庫なので、有段者でも何度も並べた方がいいと本気で思っています。
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