【書評】『少女地獄』・『海神丸』・『殉死』

はじめに

ということで今回の書評は問題作3つを取り上げようと思います。

『少女地獄』

 夢野久作『少女地獄』(角川文庫)の感想です。3人の女たちの破滅を描く中編集ですが、特に看護師姫草ユリ子の破滅を描いた「何でも無い」が面白かったです。

 有能な看護婦であるが虚言癖のある女、姫草ユリ子。大学病院、診療所などに勤めるかたわら、そこの医師たちに嘘をつき破滅していく。彼女が、嘘をつかなくても良いのに嘘をついていることが印象的でした。実家が裕福であると言ったり、知り合いが有名な学者であると言いふらし矛盾を突かれて滅んでいく。

 巨大化した自我によって、彼女は殺されたように思えます。劣等感を克服するための嘘が、自分の存在を大きくし、巨大化したエゴの自重で押しつぶされていく。

 虚言癖までは言わなくても、自分の存在を大きく見せることに熱心な社会は、大きくした重さによって自壊していく。それを風刺しているように思えます。

『海神丸』

さて、次の書評は野上彌生子の『海神丸』(岩波文庫)です。この作品は倫理上のタブーが主題となりますので、苦手な方はご注意ください。

(あらすじ)
 難破し遭難した帆船「海神丸」の乗組員たちの様子を描いた作品。限られた食料と死への恐怖。彼が迫られる究極の選択とは何か。

 (感想)
 問題作です。正直、読んだときに戦慄しました。さらに、驚くことはこの話はとある事実が基になっているということです。人間というのはどんなに文明という衣服で着飾っても所詮は動物にしかすぎないのだと痛感させられました。

 食べること。この行為をしなければ、人間は世界から退場しなければいけません。そして、押し寄せる死への恐怖。極限状態におかれた船員たちがとりうる行動は1つだけ。

 「海の神」と名付けられた船「海神丸」とそこで苦しむ船員たち。これは神という存在の中で生きる人間たちという構図なのでしょう。絶対的な力の上では人間など所詮は単なる動物に過ぎない。科学や倫理で神に近づいたと思っても、召物を身につけただけなのでしょう。

 読んでいて面白い本ではありません。しかし、読むべき本の1冊だと思いました。

『殉死』

(あらすじ)
 日露戦争の英雄であり、軍神とまで称された乃木希典の生涯を描いた作品。明治天皇崩御に際して、殉死した彼は何を考えていたのか。司馬遼太郎が迫る。

(感想)
 さて、今日はもう一つ感想を書きたいと思います。司馬遼太郎『殉死』(文春文庫)です。実は司馬作品の中でこれを一番最初に読んだ本なので、思い出深い一冊です。

 「軍神」乃木希典。日露戦争時の旅順要塞を多大な犠牲を払いながら陥落させた名将というのが、おそらく一般的な評価だと思います。しかし、司馬遼太郎はそれに異を唱えた。俗にいう乃木希典愚将論ですね。こちらの論争は本職の方々が色々と言っているので言及は避けます(笑)。小説の記述が本来の歴史とは異なるなどは置いておいて、司馬は乃木を軍人と個人で評価を分けているような気がします。

 人格者という私生活の乃木と西南戦争で軍旗を奪われ、無策な要塞包囲戦で多大な犠牲を出してしまった軍人の乃木。私生活が素晴らしい人間が、必ずしも公的な立場で結果を残せるとは限らない。結局、人間という不完全な存在が、神格化され完璧な存在にされてしまうことへの複雑な感情というものが作者側にあったのだと思います。

 日露戦争後の国民意識の変化というものを感じ取り、そして、殉死に向かっていく乃木。乃木と国民との認識のずれが、最終的には一九四五年の八月十五日に行き着いてしまうのかもしれません。一時代の終わりが明治天皇と乃木希典の死という事実に象徴化された作品です。

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