【書評】『レ・ミゼラブル(一)』(新潮文庫)

「厳しくも優しい世界」

では、早速記念すべき一つ目の感想を!

『レ・ミゼラブル(一)』(新潮文庫、ユゴー(著)、佐藤朔(訳))です。

フランス文学の傑作であり、世界文学の金字塔の一つ。自分は高校時代に一度、大学時代にもう一度、計二回ほど読み、現在GW中に再度全五巻を読み込もうと奮闘中です。

(あらすじ)
生活苦のため、パンを一つ盗んだことにより十九年もの長い期間投獄生活を送ることになってしまったジャン・ヴァルジャン。厳しい牢獄生活と人々の差別により絶望した彼はまた新しい悪事をしてしまうが、その出来事がきっかけで立ち直っていく。一人の囚人が聖人へと生まれ変わる物語。

(感想)
今回の記事は、登場人物の一人「ミリエル司教」について書きたいと思います。

ミリエル司教とは「差別に絶望したジャン・ヴァルジャンを温かく教会でもてなし、ジャン・ヴァルジャンが銀の皿を盗むという裏切り行為をしたにも関わらず、逆に憲兵から彼を庇うという優しさで、彼の更生への道を切り開いた」人物です。

この大作は、「ミリエル司教の考えるままに始まり、動き、終わる」と私は考えています。彼は最もストーリーに影響を与えた人物であり、ある意味では彼の言動を追うことで、物語の主題というものがはっきりと見えてくる最重要人物とも言えます。

特に印象深い彼のセリフを二つほど引用します。
(銀の皿が盗まれた際の一言)
「……わたしはあの銀の食器を、あやまって、しかも長い間、所有していた。あれは貧しい人たちのものだった。あの男はなんだったかね?明らかに貧しい人だよ」(164-165頁)

(銀の皿を盗んだ容疑で憲兵に捕まったジャン・ヴァルジャンを庇っての一言)
「……ところでね、燭台もあげたんだが、あれもほかのと同じ銀製でね、二百フランになりますよ。どうして食器と一緒に持って行かなかったんです?」(166頁)

たとえ、罪を犯しても、人間の根幹にあるものは「善性」であり、その特性を信じることで世界を生きてきた彼だからこそ言える温かみが溢れるセリフです。この「善性」を信じる一種の楽天主義。これがこの大作の主題なのでしょう。

『戦争と平和』のプラトン・カラターエフや『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老・イヴァン。彼らのように作者の主張がそのまま登場人物になったかのような人に自分はとても惹かれます。

 

おすすめ度90/100

※今回の感想に使用した本ですが六十九刷版のため、今の版とは頁数に違いがあると思います。ご注意ください