【書評】『老子』(講談社学術文庫)

『無知無欲な人生とは何か?』
(感想)
さて、私が一番好きな思想書『老子』(講談社学術文庫、金谷治)の感想です!。年末に毎回読み返しております。これを読み返さないと年は越せないという風物詩。

中国古代の思想書というと『論語』がまず第一にくると思いますが、自分は断然『老子』派です。『論語』は思想書というよりも、なんだか政治学に近いものを感じてしまい少し苦手なんです。人をどうのように組織し、統率するか。そんな風に読めてしまい、変人で自由を愛する私はその外にいたいと思ってしまう。なんとなく権力者側の話みたいで、縛られる側の自分にはピンと来ないのかもしれません。

そう、そんな人の受け皿になるのが『老子』。「権力」や「人間関係のしがらみ」、そこから距離を置く思想。いらないものを捨てていく思想、それが『老子』だと考えています。

この考え方って仏教とかとかなり近しいものを感じます。まあ、この考え方は森三樹三郎の『老荘と仏教』(講談社学術文庫)の受け売りなんですが(笑)

さて、『老子』の中で好きな一文を二つ引用してみたいと思います。

天長地久。天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。

(書き下し)
天は長く地は久し。天地の能く長く且つ久しき所以の者は、其の自ら生ぜざるを以て、故に能く長生す。

(訳)
天は永遠であり、地は久遠である。天地の大自然がそのように永久の存在を続けていけるのは、天も地も無心であって自分で生き続けるようなどとはしないから、だからこそ長く生きつづけることができるのだ。
(32-33頁)

為学日益、為道日損。損之又損、以至於無為。無為而無不為。

(書き下し)
学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず。これを損じて又た損じ、以て無為に至る。無為にして為さざるは無し。

(訳)
学問を修めていると、その知識は一日一日と増えてくるが、「道」を修めていると、一日一日とその知識は減ってゆく。減らしたうえにまた減らし、どんどん減らしていって、ついにことさらなしわざのない「無為」の立場にゆきつくと、そのしわざのない「無為」のままでいて、それがすべてのことをりっぱになしとげるようになる。
(153-154頁)

自分の持つ執着をどんどん捨てていくことの魅力。「エゴ」というものが自分をどこまでも苦しめている。だからこそ流れに身を任せることも必要なのだと読んでいてはじめてわかりました。夏目漱石ではないけど「則天去私」という心境はこういうものなのかもしれません。

 

おすすめ度 100/100



【詩】おとなって

「おとなって」

おとなって、意外とすごくない。

小さい頃は、おとなってすごかった。
すごいものだと思ってた。
でも、それは幻想。

おとなって、意外とすごくない。
夢から覚めたとき、もうわたしはおとなだった。

おとなって意外とすごくない。
可能性がなくなっていくのだから。
それにきがついてしまうのは、わたしがおとなだから。

おとなって意外とすごくない。
それがわかったとき、おとなはおとなになる。

おとなって意外とすごくない。
そして、その時思うのだ。

子供って意外とすごいじゃん、と。

 

※小説家になろうにも投稿しています

次→


【書評】『レ・ミゼラブル(一)』(新潮文庫)

「厳しくも優しい世界」

では、早速記念すべき一つ目の感想を!

『レ・ミゼラブル(一)』(新潮文庫、ユゴー(著)、佐藤朔(訳))です。

フランス文学の傑作であり、世界文学の金字塔の一つ。自分は高校時代に一度、大学時代にもう一度、計二回ほど読み、現在GW中に再度全五巻を読み込もうと奮闘中です。

(あらすじ)
生活苦のため、パンを一つ盗んだことにより十九年もの長い期間投獄生活を送ることになってしまったジャン・ヴァルジャン。厳しい牢獄生活と人々の差別により絶望した彼はまた新しい悪事をしてしまうが、その出来事がきっかけで立ち直っていく。一人の囚人が聖人へと生まれ変わる物語。

(感想)
今回の記事は、登場人物の一人「ミリエル司教」について書きたいと思います。

ミリエル司教とは「差別に絶望したジャン・ヴァルジャンを温かく教会でもてなし、ジャン・ヴァルジャンが銀の皿を盗むという裏切り行為をしたにも関わらず、逆に憲兵から彼を庇うという優しさで、彼の更生への道を切り開いた」人物です。

この大作は、「ミリエル司教の考えるままに始まり、動き、終わる」と私は考えています。彼は最もストーリーに影響を与えた人物であり、ある意味では彼の言動を追うことで、物語の主題というものがはっきりと見えてくる最重要人物とも言えます。

特に印象深い彼のセリフを二つほど引用します。
(銀の皿が盗まれた際の一言)
「……わたしはあの銀の食器を、あやまって、しかも長い間、所有していた。あれは貧しい人たちのものだった。あの男はなんだったかね?明らかに貧しい人だよ」(164-165頁)

(銀の皿を盗んだ容疑で憲兵に捕まったジャン・ヴァルジャンを庇っての一言)
「……ところでね、燭台もあげたんだが、あれもほかのと同じ銀製でね、二百フランになりますよ。どうして食器と一緒に持って行かなかったんです?」(166頁)

たとえ、罪を犯しても、人間の根幹にあるものは「善性」であり、その特性を信じることで世界を生きてきた彼だからこそ言える温かみが溢れるセリフです。この「善性」を信じる一種の楽天主義。これがこの大作の主題なのでしょう。

『戦争と平和』のプラトン・カラターエフや『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老・イヴァン。彼らのように作者の主張がそのまま登場人物になったかのような人に自分はとても惹かれます。

 

おすすめ度90/100

※今回の感想に使用した本ですが六十九刷版のため、今の版とは頁数に違いがあると思います。ご注意ください



【自作小説】『不幸なおとこ』

不幸な男(ヒューマンドラマ)

【本文】
おれは、不幸だ。
世界一不幸だ。
今日も本当についてなかった。

朝は7時におきた。おきたくなかった。本当はずっと寝ていたかったのにだ。
でも、おきてしまった。
太陽がカンカンとまぶしい。こんなんでは二度寝もできない。なんと不幸だろう。

朝食は目玉焼きとトーストとサラダ。
半熟たまごとベーコンのうまみ。
バターがとろけたトースト。
さっぱりした生野菜にクリーミーなドレッシング。

だが、おれは和食が食べたかったのだ。味噌汁と魚の気分だった。
こんなことを妻に言ったら確実にけんかになる。
「うん、うまい」
こんなつまらないウソをつかなければいけない自分が悲しい。

でも、おいしかった。
会社に向かうために満員電車にのる。息苦しい。
こんなのって絶対におかしい。
痴漢に間違われたら一発で人生という名のゲームが終わってしまう。
人権侵害もいいところである。

会社についたらつまらない事務仕事が延々と待っている。今日は外出の予定もない。
なんて日だ。
10時のコーヒータイムしか楽しみがない。
こうなったら隠しているチョコレートも食べてやる。

昼休みになった。
延々と続くつまらない事務仕事もいったん休憩。
今日の昼飯は妻が作ってくれた弁当。
魚の照り焼きとたまご焼き。袋の中にカップみそ汁も入っていた。
これが朝食だったらよかったのに。肉厚の魚をむさぼりながらそう考えた。

昼休み明け大きなトラブルが発生した。
取引先に発注した商品がまだ届かないのだ。
昨日の午前中までが期限だったのに。

「おまえのチェックが甘いからだ」
と部長は大目玉。どうも新人が間違えたらしい。あのバカ佐藤め。

得意先に出向き、無理いって、手配してくれることになった。
こんな外出はいやだ。あとで佐藤に嫌味をいってやる。でも、無事に終わってよかった。

そんなトラブルのせいで定時を一時間過ぎての帰宅。コンビニでビールとつまみを買って帰る。
日は完全に暮れていた。まっくらな空にむかってため息とともにこうつぶやく。

「ああ、今日も不幸だったな」
と。

 

※小説家になろうにも投稿しています。

 

次→